2008年11月30日

危機の時代の「モンスター・小泉毅」と亡国・麻呆政権は表裏一体

 ★今朝の「南日本新聞」の朝刊・一面に「中小企業の景況最悪」「雇用削減14%検討」のタイトルが躍っている。一方、麻生総理は、11/28の党首討論の中で、「今、中小企業の資金繰りというのをみますと、貸し出しの量、今の段階で2日間で1000億台に乗りましたが、それまで100億台と今の段階なら対応できる。」と述べ、現実認識の欠落、言わば”これで足りるだろう。何の不足がある”と言わんばかりの対応、危機感など更にない政府の認識状況を露呈している。巷には中小企業主・国民各層の苦しみが渦巻いているというのに、国のトップはこの太平楽である。

 ☆11/28の「毎日新聞」記者の目:元次官殺害「高級官僚は悪」なのか=野沢和弘・・・・・は、「支離滅裂、荒唐無稽(むけい)な小泉毅(たけし)容疑者(46)の供述の中で、「大学に行って、高級官僚が悪だということが分かった」は妙にリアルで心に引っかかる。年金などをめぐって厚生労働省を批判する空気が世に充満している。」(以下略)と語る。

 http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081128k0000m070137000c.html

 ★野沢記者は上のように「支離滅裂、荒唐無稽」と語るが、一歩視点を変えて、小泉の語る「イヌ」を「弱者」と読み換えて考えてみたら、コトの評価はどう変わってくるだろうか?野沢記者が語る「妙にリアルで心に引っかかる」のは、このポイントがあるからではないか?もし仮に、小泉の言葉を「弱者の仇討ちのためにこの34年生きてきた」と読み換えたら、不可解な面は無論残るが、恐るべきリアリティが浮かび上がっては来ないか?そう思えば、次々に厚生省は、この数十年、「弱者」に対する悪業・不祥事を繰り返してきた。「薬害問題」「年金問題」・・・・・枚挙にいとまがない。彼=小泉毅は、この意味で「危機の時代のモンスター」なのではあるまいか?

 ☆ここで、参考までに「厚生年金保険制度回顧録」(1988年刊)における、昭和17年、厚生年金創設当時、厚生年金保険局長であった故・花沢武夫の語りを見ておきたい。「目的は戦費調達である。制度の良し悪しなどは最初から考えていなかった。戦争中のどさくさにやってしまったから、それが一番良かったんですね。どさくさ紛れに法案を通してしまった。法律が出来た時、すぐ考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。厚生年金基金とか財団作れば、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。(将来)価値が変わるから、早い内に使った方が得をする。将来みんなに支払うときに金がなくなったら賦課式にすればいいのだから、それまでの間にせっせと使え。こんなのもの作っても、人のために作るので、自分が貰えるものではないから、どうでもいいやと思ってました」と。

 ★厚生年金制度の本当の目的は、役人の天下り先の確保と資金の流用であったと、創設時のリーダーが赤裸々に語っているのである。こんなアケスケな話が世の中にあっていいのだろうか?眼を疑い、思わず眼をこすってみたくなるような話である。しかしこれは、紛れもない歴史的事実なのである。爾来半世紀余、花沢の後輩たる厚生省の高級官僚共は、連綿と花沢が敷いたレールの上をひたすら走り抜いてきたのである。このようにみれば、「グリーンピア問題」も「年金問題」も数多の「天下り無駄遣い」問題も、すべてが白日のように”氷解"するのではなかろうか?

 ☆上記の事情にやや関わるように、小沢民主党代表が、ある経済誌(2006年5月16日)のインタビュー記事で述べたことがある。「日本では、民主主義が確立されていないと痛感していた。国民主権とは、国民が最終的な権限を持つということだ。国民が政治も行政もすべてやらないとおかしい。その国民の代表が政治家なのです。でも日本では、国民の代表でもない官僚がすべてを牛耳っている。それはおかしいと思った。もっとおかしいのは国民がそれに何も言わないことですよ。要は何でも他人頼み、お上頼み、役人頼み、経済界だってそうだよ。役所と喧嘩したらビジネスに支障が出るから、役人のご機嫌取りに終始してしまう。その役人も、将来は民間に再就職しなくてはいけない。互いに持ちつ持たれつでやってきた。」「戦前、官僚は天皇陛下の官僚である、という言い方をした。その意識が、昭和の時代を経て平成になった今でも抜けきらない。片や国会議員なんて下々の代表に過ぎない。だから、役人の言うことは信じるけれど、政治家の言うことは信じない。問題なのは、権威のあるはずの役人の道徳観念、質そのものが落ちちゃったことだ」と。(以上は、シューサンガ著・「公務員亡国」からの引用)

 ★小沢氏の見識は、それなりに評価に値するが、しかし、「天皇陛下の官僚」であった花沢武夫を筆頭に作った「厚生年金保険制度」の目的・内実からして、役人の道徳・質が今になって落ちてきたのではなく、疾うの昔から「地に落ちていた」ことをいみじくも裏書きしているのではないか?ここにおいて、「モンスター・小泉」の「高級官僚=悪」なる言辞が、信じがたいくらいのリアリティを放ち始めるのであろう。小沢氏の、「日本では、国民の代表でもない官僚がすべてを牛耳っている。それはおかしいと思った。もっとおかしいのは国民がそれに何も言わないことです」を思うとき、「モンスター・小泉」の言葉は、現状に対し何も出来ず手をこまぬく無力な我々の胸に、グサリと突き刺さって来はしまいか?

 ★8/14名古屋駅頭で行った街頭演説で、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたらこの辺、全部洪水よ」の発言、11/26日参院本会議での、「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」との発言、また同日の全国PTA大会会場での挨拶で、母親達を前にして母親批判を繰り広げたトンチンカン発言、更に翌日公開された経済財政諮問会議の議事要旨で明らかになった、社会保障費の抑制をめぐる「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」との発言(11/20)などには構造的な共通点が見られる。それは、麻生の頭の中では、<目の前にいる人たちに受けようとして、その場にいない人々をこき下ろす>ーという構造である。PTA大会で、目の前にいる人々が先生達だと思って繰り広げた「母親批判」がその典型である。嗤うべし!これは余りにもあからさまな失敗であったが、 その他に共通するのも、参議院議員を前にしての「医師批判」、経済財政諮問会議の(元気な)委員達を前にしての「患者批判」・・・、すべて目の前にいない人々をくさして、その場にいる人たちに受ければよい、というその場凌ぎの考えである。何と浅はかな「総理」を、公明が担ぎ、自民党総裁選が「圧勝」の形で選んでしまったことか!ここに国民は一切関与できていない。

 ★麻生の眼には、目の前にいる人しか見えない、頭に浮かぶのは目の前にいる人達だけの利害、国民や、国民全体の運命なんて考えたこともない。だから、麻生の場合は、「失言」ではなく本質の「露呈」なのである。「日ごろ思っていることを素直に口に出しただけではないか。麻生さんの問題というより、そういう人をリーダーに選んだ自民党という政党の構造的な問題でしょう」という御厨貴東大教授の指摘(11/30「南日本新聞」より)に一段とリアリティが感じられる昨今である。

 ★<根腐れ自公政権>の構造上の特質は、ただ官僚共の上にあぐらをかき、その上でうまい汁を吸い、その横暴を押さえることなど到底出来ない存在だということである。このような政権がン十年も続いたことが、「高級官僚=悪」と叫び前代未聞の凶行を働いた「モンスター・小泉」を生み出したのである。「改革詐欺師」・小泉のあと安倍ー福田ーと続く、国民が認知せざる自公政権は、ついに麻生に至り、「弱者」を公然と無視し切り捨てる「亡国・麻呆政権」へと転落を遂げつつある。この「麻呆タロウ政権」を打ち倒さない限り、この国の未来は拓けない! <哲>



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Posted by 代表:岩井哲 at 11:56│Comments(0) │日本の事
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