2008年07月08日
7/27 草の根世直し行進の呼びかけ(07・08更新)

南日本新聞7/20朝刊掲載予定↑の原稿です。当日の新聞朝刊を御覧下さい!
腐った国政を変えませんか!
みんなの力で!
草の根世直し隊・かごしま
鹿児島市民の皆さん! [発起人・岩井哲]
この春、福田・自民党政府は、①「後期高齢者医療制度」のゴリ押しによる「ウバ捨て山」を地でいく究極の年寄りイジメ、②「道路特定財源」の「一般財源化」へのすり替え=”目眩まし”による10年間ー59兆円の強奪のためのガソリン値上げ。膨大な額の無駄遣いの温存のまま、恐らくは来年以降も変わらず、誰のためのモノか分からない道路の見境いのない建設続行、③5000万件もの「消えた年金」も未解決のままの開き直り=今後の年金制度の再構築の完全放棄、更に最近では新たに560万件もの「厚生年金の記録不明」発覚と相次いで、国民生活破壊の上に、民意無視=国民不在の政治をほしいままにしています。
かの「改革詐欺」師=小泉首相の下でインチキ郵政解散により得た衆院3分の2の議席を使い放題使いまくり、何でもかんでも「強行採決」を重ね、これこそ「権力の乱用」に他ならない民意無視のオンパレード、挙げ句の果ては、山口2区の選挙結果を古賀某が「あれは民意ではない」などと言い放ってはばからず、沖縄県議選の結果についても、「あれは一地方選の問題」と複数の自民幹部が切り捨てる。いつからこの国は、自国民に対し、このような民主主義破壊による冷酷無比・酷薄非道な仕打ちを連発して恥じない独裁国に変貌したのだろうか?小泉は暫く前「解散すると大変なことになる。150議席は失うぞ!」と檄を飛ばし、自公権力維持のためにのみ「解散封じ」の画策に狂奔し、「内閣改造すると総選挙が早まる」と意味不明の”目眩まし”作戦に興じている有様です。
皆さん!このまま国政の停滞を放置しておいていいのでしょうか?支持率20%を上下する自民党政権の民意無視の続行をこれ以上許さず、1日も早く総選挙を実施させましょう。そのことにより、民意に沿った政権を誕生させ、長年の悪政で疲弊しきった政治システム&官僚体制を打ち倒し、国民生活の再構築をみんなの力でなし遂げて行こうではありませんか!
7月27日(日)13:00草の根世直し行進
★時間:午後1時 みなと大通公園集合→各参加者が自由に意見を述べる
午後2時 デモ行進開始→市役所前→いづろ通り→天文館→高見橋
午後3時 高見橋で行進終了→中央駅近辺でビラまき(有志)
午後4時 解散→ご希望の方は近くで懇親会=呑ん方
★皆さん、各自思い思いのゼッケン・プラカード・旗・チラシなどご自由にお持ち下さい。
★連絡先:電話:090-2583-6153(岩井)
(当日のデモ開始の時間まで、反復再投稿いたします。これを読まれた方は、是非当日現地に集まってください!)
2008年07月08日
今朝の「朝ズバッ」での「息子介護」の取り上げ方に疑問有り
親を施設に入れるのは「見捨てる」ことか?
今朝のTBSテレビ「朝ズバッ」で、「息子介護」のことを取り上げていた。しかし、その取り上げ方が気になるので、この場を借りてコメントしておきたい。実は、私も両親を「老健」や「病院」や「グループホーム」に預けて仕事を続けて来ている。父は既に数年前に病院で亡くなり、母は今、2つ目のグループホームで87歳の夏を迎えようとしている。加えて、私は仕事柄、病院や福祉施設に働く看護婦さんや介護職の人々の紹介を通して、今の医療・福祉業界の(少なくとも鹿児島の)現状を一般の方々よりも知りうる立場にある。
そういう私から見て、今朝のテレビに登場した息子さん(46)の発言には少なからず、違和感を覚えた。自動車の販売業に従事し、月収25万円だったが、母親の介護のために、8年前に仕事を辞め、日々介護に専念する毎日だという。収入は、母親の年金6万円強。兄弟からの援助もややあるかも知れないが、およそこれで、ヘルパーさんへの支払いも含め、二人の生活のすべてを賄っているとのこと。お金が足りずに、親の持ち家も売り払い、働いていたときに蓄えた貯金も底を尽き、これから先の生活の当てが全く立っていないという。この方の一言が私の耳に飛び込んできた。「なぜ施設に預けないんですか?」という質問に対し、曰く、「母親を捨てることになるから」と。私は一瞬耳を疑った。
介護は、基本的に「社会的介護」に依拠し、自らは自分の生活を立てるために仕事に出る、というのがこんにちの基本的考え方ではないのか?特養・老健で、入所費用は、7万円強、グループホームで11万円位が相場である。親の年金だけで賄いきれない部分を子供が負担するとしても、それは多くて数万円単位であり、その位ならば、男にせよ女にせよ、働くことで稼いだ金額から負担することは十分可能な(もしくは不可能ではない)筈だ。
そう考えたとき、TBSの報道の姿勢には疑問が湧く。「息子介護」があたかも不可避のことであるかのように取り上げキャンペーンするのは如何なものか?無論、定年を迎えそのため仕事を辞めて介護に専念せざるを得ない方々については別問題である。私がここで問題にしたいのは、30代・40代・50代の男性の皆さんが、「親の介護のために仕事を辞める」という<社会現象>についてである。何か、「家族介護」のあり方についての根本的な意識の転換が求められているのではなかろうか?この問題について皆さんはどうお考えですか? <哲>
今朝のTBSテレビ「朝ズバッ」で、「息子介護」のことを取り上げていた。しかし、その取り上げ方が気になるので、この場を借りてコメントしておきたい。実は、私も両親を「老健」や「病院」や「グループホーム」に預けて仕事を続けて来ている。父は既に数年前に病院で亡くなり、母は今、2つ目のグループホームで87歳の夏を迎えようとしている。加えて、私は仕事柄、病院や福祉施設に働く看護婦さんや介護職の人々の紹介を通して、今の医療・福祉業界の(少なくとも鹿児島の)現状を一般の方々よりも知りうる立場にある。
そういう私から見て、今朝のテレビに登場した息子さん(46)の発言には少なからず、違和感を覚えた。自動車の販売業に従事し、月収25万円だったが、母親の介護のために、8年前に仕事を辞め、日々介護に専念する毎日だという。収入は、母親の年金6万円強。兄弟からの援助もややあるかも知れないが、およそこれで、ヘルパーさんへの支払いも含め、二人の生活のすべてを賄っているとのこと。お金が足りずに、親の持ち家も売り払い、働いていたときに蓄えた貯金も底を尽き、これから先の生活の当てが全く立っていないという。この方の一言が私の耳に飛び込んできた。「なぜ施設に預けないんですか?」という質問に対し、曰く、「母親を捨てることになるから」と。私は一瞬耳を疑った。
介護は、基本的に「社会的介護」に依拠し、自らは自分の生活を立てるために仕事に出る、というのがこんにちの基本的考え方ではないのか?特養・老健で、入所費用は、7万円強、グループホームで11万円位が相場である。親の年金だけで賄いきれない部分を子供が負担するとしても、それは多くて数万円単位であり、その位ならば、男にせよ女にせよ、働くことで稼いだ金額から負担することは十分可能な(もしくは不可能ではない)筈だ。
そう考えたとき、TBSの報道の姿勢には疑問が湧く。「息子介護」があたかも不可避のことであるかのように取り上げキャンペーンするのは如何なものか?無論、定年を迎えそのため仕事を辞めて介護に専念せざるを得ない方々については別問題である。私がここで問題にしたいのは、30代・40代・50代の男性の皆さんが、「親の介護のために仕事を辞める」という<社会現象>についてである。何か、「家族介護」のあり方についての根本的な意識の転換が求められているのではなかろうか?この問題について皆さんはどうお考えですか? <哲>
2008年07月08日
↑親を施設に入れるのは「見捨てる」ことか? について
<哲>さんのご意見に全く同感です。
私も母親(92歳)の介護を特別擁護老人ホームに預けて、夫婦共働きでささやかな事業を営み生活を支えています。車椅子でも自分で食事も出来ていた数年前までは、訪問介護のヘルパーさんを頼みながら夫婦で介護の手伝いをしていましたが、脳梗塞発病していよいよ寝たきり状態になってからは、リハビリを兼ねた老健施設に入所させて、こちらは仕事の合間に通う毎日でした。
老健施設も、リハビリして在宅介護に帰らせる目的の施設ですので、当然最長でも半年以上は入所できない仕組みに成っていましたので、その都度他の受け入れ先を探して、3~4箇所を渡り鳥の様に移ってもらいました。
その間何度も自宅に迎えて介護しようかとも考えましたが、住まいの機能構造の問題と、事務所を潰して介護寝室にすると仕事への支障が大きすぎると言う問題もあり、母親にとっても私たちにとっても、安心して生活できる老人ホームへの入所を選択しました。
母親にとっては、毎日家族に合えない事はさびしい事かも知れませんが、時々会いに行くととても喜んでくれて、何よりも子供達の事や孫や親戚の事を元気で暮らしている事を聞いて喜んでくれました。
最近は面会に行っても私が息子だと言う事も判っていなくて、自分の兄だと思っているようですが、できるだけ安らかに最後の時間を過ごして欲しいと思っています。
http://kaze.chesuto.jp/e58366.html
国の制度として、医療福祉に掛かる税金からの補助費を削減して、基本的に自宅介護にする事を早急に進めると言う方針は、かつてのバブル時代に「ゆとり教育」と銘打って、多くの日本人から頑張る精神を骨抜きにした時の間違いにも近いものだと思います。今度はそのことを親孝行法案とでも名付けたいのでしょうか?。
全く将来へのビジョンが欠落した、その場しのぎの方針や方策の付けは、全て一般の庶民が払わないと行けない事に成ります。
敗戦を乗り越え、高度成長時代を支えてきた私たち皆の大切な親である高齢者に対して、自分の老後の生活や介護は、自分の子供や家族に看てもらえ!と、突き放すような法案がどんどん通る事で、今朝の「朝ズバ」に出てきたような介護生活状態の人が増えてきそうな気がします。
かつてNHKで「おしん」が放送され、大変な人気が有りましたが、あの物語を日本人特有の美徳として考えるには、あまりにも短略的過ぎると思います。あの物語には、国の政が乱れた時に庶民に広がる悲劇と悲哀が表現されていたと思います。
庶民としてそれをぶつける場所も無く、家族内で親のため子のためと言う情愛と、貧困と自然環境と言う厳しい環境の中で生きていく逞しさの様なものを、美談として描いたものでした。
親を本当に「見捨てる」と言う事は、子供が精神的や経済的に自立が出来なくなり、自分の責任の及ばない所に追いやる事を言うと思います。ましてや精神的に惨めな暮らしをさせたり、一人暮らしの孤独に追い込んだりする事だと思います。
本当に親孝行をすると言う事は、何よりも子供の立派な成長を見せる事であり、固有の生命を次の世代へと受け継いでいけることの喜びを感謝として伝える事だと思います。
子供に経済的な余裕が無いのなら、せめて地域社会や公共の福祉が受けれるように働きかける事であり、そのことを「見捨てる」事と誤解しない方が良いと思います。
社会に助けてもらうことで、その分社会に奉仕する活動をする事が親孝行だ思います。
それが働くと言う事であり、政治や教育や宗教活動であり、家事や育児で家庭を支える事にも繋がると思います。
人間は単に自分だけの為に生きているのではない事を、
何度でも学ぶ必要が有ると思います。 <風>
私も母親(92歳)の介護を特別擁護老人ホームに預けて、夫婦共働きでささやかな事業を営み生活を支えています。車椅子でも自分で食事も出来ていた数年前までは、訪問介護のヘルパーさんを頼みながら夫婦で介護の手伝いをしていましたが、脳梗塞発病していよいよ寝たきり状態になってからは、リハビリを兼ねた老健施設に入所させて、こちらは仕事の合間に通う毎日でした。
老健施設も、リハビリして在宅介護に帰らせる目的の施設ですので、当然最長でも半年以上は入所できない仕組みに成っていましたので、その都度他の受け入れ先を探して、3~4箇所を渡り鳥の様に移ってもらいました。
その間何度も自宅に迎えて介護しようかとも考えましたが、住まいの機能構造の問題と、事務所を潰して介護寝室にすると仕事への支障が大きすぎると言う問題もあり、母親にとっても私たちにとっても、安心して生活できる老人ホームへの入所を選択しました。
母親にとっては、毎日家族に合えない事はさびしい事かも知れませんが、時々会いに行くととても喜んでくれて、何よりも子供達の事や孫や親戚の事を元気で暮らしている事を聞いて喜んでくれました。
最近は面会に行っても私が息子だと言う事も判っていなくて、自分の兄だと思っているようですが、できるだけ安らかに最後の時間を過ごして欲しいと思っています。
http://kaze.chesuto.jp/e58366.html
国の制度として、医療福祉に掛かる税金からの補助費を削減して、基本的に自宅介護にする事を早急に進めると言う方針は、かつてのバブル時代に「ゆとり教育」と銘打って、多くの日本人から頑張る精神を骨抜きにした時の間違いにも近いものだと思います。今度はそのことを親孝行法案とでも名付けたいのでしょうか?。
全く将来へのビジョンが欠落した、その場しのぎの方針や方策の付けは、全て一般の庶民が払わないと行けない事に成ります。
敗戦を乗り越え、高度成長時代を支えてきた私たち皆の大切な親である高齢者に対して、自分の老後の生活や介護は、自分の子供や家族に看てもらえ!と、突き放すような法案がどんどん通る事で、今朝の「朝ズバ」に出てきたような介護生活状態の人が増えてきそうな気がします。
かつてNHKで「おしん」が放送され、大変な人気が有りましたが、あの物語を日本人特有の美徳として考えるには、あまりにも短略的過ぎると思います。あの物語には、国の政が乱れた時に庶民に広がる悲劇と悲哀が表現されていたと思います。
庶民としてそれをぶつける場所も無く、家族内で親のため子のためと言う情愛と、貧困と自然環境と言う厳しい環境の中で生きていく逞しさの様なものを、美談として描いたものでした。
親を本当に「見捨てる」と言う事は、子供が精神的や経済的に自立が出来なくなり、自分の責任の及ばない所に追いやる事を言うと思います。ましてや精神的に惨めな暮らしをさせたり、一人暮らしの孤独に追い込んだりする事だと思います。
本当に親孝行をすると言う事は、何よりも子供の立派な成長を見せる事であり、固有の生命を次の世代へと受け継いでいけることの喜びを感謝として伝える事だと思います。
子供に経済的な余裕が無いのなら、せめて地域社会や公共の福祉が受けれるように働きかける事であり、そのことを「見捨てる」事と誤解しない方が良いと思います。
社会に助けてもらうことで、その分社会に奉仕する活動をする事が親孝行だ思います。
それが働くと言う事であり、政治や教育や宗教活動であり、家事や育児で家庭を支える事にも繋がると思います。
人間は単に自分だけの為に生きているのではない事を、
何度でも学ぶ必要が有ると思います。 <風>
2008年07月08日
洞爺湖で(環境)サミット開催中!

---Mixiのマイミクの「うっちゃん」さんの日記を引用。ここから---
洞爺湖でサミットが始まりました。
そして、環境問題(エコ)のことを話し合われるらしい?
政府専用機で、各国がジェット燃料を使って、北海道にやってくる・・・
それを警備するのに、日本全国から、警察が集められて、大型の警備車両が配置される・・・
豪勢な、料理が各国の首脳達に振舞われる・・・
やはり、何がエコで何がエコでないのか、見極めなければいけないと思うんです。
例えば、二酸化炭素排出量の目標を達成できないときは、達成できた国から、その目標数値をお金で買う??
これってどういうこと? それが、エコなのか?
---ここまで引用---以下省略。
全く持って、全ては経済至上主義の論理にはまってしまっています。
今回のサミットは、地球環境に関する京都議定書の宿題を提出採点するような内容が主題だと思います。
何万人と言う警察官や、自衛隊の航空機等が護衛の為に活動していますが、当のサミット主催者達が本当に地球温暖化を食い止めて、私たちの子孫の為に環境を回復していく覚悟が有るのか疑わしい限りです。
国際的なテロリズムを生み育てたのは、西欧資本主義諸国の資本植民地化政策によるものです。かつての日本人がその罠にはまった様に、中東や極東でもその火種が消えません。現在ではアフリカが最も狙われていて危険な状態に有りますが、アジアの中でも日本はまたしても微妙な立場に成りかねません。
やっぱりこれって「エゴ」なんでしょう!。
日本は今回、金持ちクラブのホスト役が回って来ていますが、バブル時のようなあぶく銭は持ち合わせていませんので、しっかりと財布の紐を締めながら、必要なカードは思い切って切って行く様にしないと、いわゆる「親の一人負け」の上にアメリカのパシリにまで使われ続けかねません。
実は、かつての金持ちクラブもみんな放蕩の末に疲弊し切っているのです。(ロシアだけは別かも知れませんが。)
サミットが終わってから、せめてショバ代だけは払って行ってー!と頼んでも後の祭りです・・・。
・・・さあ、何はともあれ場は開かれました。結果を見てよ~く考えてみましょう。 <風>